創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、核兵器は存在自体が人類への冒涜である

核兵器のロジックは

龍ノ口の法難に似ている。

核兵器は人類という種の断頭台だ。

龍ノ口事件では

空がピカッと光って、断頭は中断された。

現代において

核兵器

空がピカッと光ったら

人類絶滅だろう。

恐竜絶滅は巨大隕石落下だったという。

人類が絶滅するとしたら核兵器の落下だ。

しかし恐竜が絶滅したと思いきや、鳥類が生き残っていた。

人類が絶滅したとしても

一部分は生き残っている可能性もある。

絶滅なんて想像もしたくないが

鳥のように身軽でありたい。

身軽なら生き残れる。

身軽法重の哲理は深い。

核兵器は極悪の巨大粗大ゴミである。

粗大ゴミは維持費が莫大だ。

傲慢になって

恐竜みたいに

肥大化し

冒涜する側にいると

粗大ゴミの重みで絶滅する。

核兵器という種のguillotineが頭上の第六天に吊るされているのに

平和ボケが蔓延しているのが信じられない。

仏法の話しをしても反発するわけだ。

末代幼稚は恐ろしい光景だ。

平和ボケというのは果報であろう。

果報が尽きた時

生き地獄が始まる。

その時

蜘蛛の糸が見えるかも知れない。

蜘蛛の糸を登ればとりあえず地獄は脱出できる。

下種するというのは

その蜘蛛の糸を垂らして差し上げるという慈悲の修行である。

修行していても

自分が安泰とは限らない。

善人が巻き添えになることもある。

例え巻き添えになっても

最善を尽くして、死ぬなら、後悔はないだろう。

仏道修行も何も努力せずに死んだら後悔するに決まってる。

何もしないで後悔するより

最善を尽くした

死んでも満足

という道を歩みたい。