創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、勘違いについて考察する

攻めるのは極悪だけで良い。

他を責めるとますます複雑化が悪化する。

複雑化は仏法ではない。

極悪以外は敵に回すためではなく

むしろ極悪から離すため対話しないといけないのだ。

大聖人は

極悪のほとんど極楽寺一本に絞って攻めていた。

北条家や平頼綱を攻めたことはない。

極悪以外は対話が基本である。

もちろん悪事を成した輩は、時宗だろうと、頼綱だろうとバチが待っている。

大聖人は極悪以外は無闇に責めない。大慈悲である。

3人組も公明や言論人やあれこれ攻撃して、内弁慶になり、会長まで攻撃していたが、

敵を増やしてどうするのか意味不明。

大聖人からかけ離れている。

極悪以外は、批判者であっても敵ではない。

攻めるのは極悪のみでいい。

二乗根性だと、分かりにくいだろうが、

バチを受けて、知ればいい。

バチを受け、改心し、

極悪一本に絞り、

再び攻めよ。

完全なる勘違いは恐ろしい。悲惨である。

だからこうして一言、書いておいた。

破和合僧の分断者は、当たり前のことが理解できないぐらい、脳が錯乱していないことを祈りたい。

バチを消し、功徳を積むなら、1票1バチで極悪核兵器廃絶を推し進めるか、あるいは核兵器支配体制と同じ論理の極悪寺の階級固定化差別思想を破折せよ。それ以外は全員被害者であり、敵ではない。