創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、冤罪について考察する

この世には絶対にやってはいけないことがある。

冤罪に陥れることである。

龍ノ口の法難、結果、北条時宗はバチで病死若死。

熱原の法難、結果、平頼綱はバチで誅殺自害。

歴史を見ると

バチを受けなかった悪人もいたが

日蓮の仏法史を見れば

絶対にやってはいけないことした輩には必ずバチが出たという二大事件、

それが龍ノ口事件と熱原事件であった。

北条時宗は直接関わっていなかったかもしれないが、止めるられる立場にあって、見過ごした場合も同罪になってしまう。

止められる権限を持っていたら、止めなければいけないのである。必ずバチがある。現代においても、誰にバチが出たかというのは、後世になれば明らかになる。方程式は同じだ。

出なければならないバチは今世でである。来世まで待つ必要がない。これが仏法である。

極楽寺りょうかんはどうであっただろうか。

歴史を見ても、バチによって死んだようには見えない。しかし、

この場合は生き恥を晒し続けて、屈辱に耐え続けて、長寿を全うしたというバチであろう。

何も悲惨な死に様だけがバチではない。生き恥を晒し続けて、耐え忍ぶ、これも十分なバチである。大聖人との祈祷勝負にも敗れ、さぞ苦しんだに違いない。偽物だとバレたからだ。

小善をコツコツと積み、世間から尊敬されていたが、大善に逆らうことで極悪になってしまい、勝負にも惨敗して、生き恥を晒し続けて、耐え忍ぶ。嫉妬深い人間ということが、歴史に残ってしまった。嫉妬が世間に晒された、これは本人にとっては痛々しいバチである。

極楽寺りょうかんは日限女と同年に死んでいる。1303年。

悪人成仏と女人成仏を象徴している。法華経の予言通り。

現代でも、方程式は同じである。

嫉妬に狂い、生き恥を晒し続けて、長寿、これは本人にとってはさぞかしキツい生き地獄であろう。

新型コロナショック出現の年に死んだ魔僧にっけん。

山友はリーマンショック勃発の年に死んだ。

世間の魔のリズムと一緒だった。

死ぬ地獄か生き地獄、

バチは、こういう風に立て分けれる、これも大聖人の仏法が残した現証の教えである。

大願と大善に生きよう。大善ゆえに小善人から、迫害を受ける。小善人は極悪人になってしまい、大バチを受ける。功徳とバチを繰り返しながら、広宣流布は進んでいく。特に極悪と戦おう、極悪と戦えば極善になる。1票1バチの方程式を忘れるな。