創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、龍樹について考察する

なぜ仏教が発展する途上で

龍樹などが出現し論理学が発展したのだろうか。

これは

文証あって理証がないと混乱し混沌とするからである。

だいたい当時のことが想像つく。

仏陀がああ言ったこう言ったと口伝によって仏教が広まるのだが、論理的に解釈しないと、言葉の表面だけでは混沌とし、人々は混乱してしまう。

しかし仏陀がああ言ったこう言ったのレベルで止まっていたら、何も進まない。

民衆は日々農作業などの仕事で忙しいのに、そういうレベルで関わってたら、エネルギーが余計にかかる。

そこで論理学が登場して、あーだこーだの議論に終止符が打たれたのである。

要するに

文証で止まっていちゃもんつけてるのは農作業とかしたくないだけの怠け者が、混乱を作り出して、自分たちの飯の種を探そうとしてるだけである。何も生産されていないのだ。食法餓鬼である。

論理のわからない人間は

池田先生が2005、2006年に

本門の宣言があり

2004年以前は迹門だと話したことを知らないのだろう。

だから迹門に執着して

本門を破壊しようとするのだ。

さらに論理がわからないと

文底もわからない。

文底は捏造だと言い始める。

その姿は

正しそうみ見えて

心底はバチまみれである。

池田先生は

2006.9.22 聖教新聞

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 名誉会長 

霊鷲山」と「彼岸」を語る 〔下〕

私の人生の総仕上げは、いよいよ、これからである。

 仏法で説く「永遠の生命」についても、さらに語っていきたい。

 今まで語ってきたものが全体の一部分となるような、さらに本格的な生命論を、真実を、 全力を挙げて残していこうと思っている。

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と、ご指導されていますが、

2005.5月から「本門」の寿量品がはじまり

2006.9月から「本門」の寿量品

のなかの「永遠の生命」を説き始める部分がはじまるのだと

思います。

論理がわからないと

迹門で止まってしまう。

今後龍樹はような人が出てきて

三代の仏法哲学

論理的に体系化されるであろう。

しかし、さらに進むと

論理的にいちゃもんつけてくる輩もでるようになるかもしれない。

その時は

現証で勝敗を決する必要がある。

つまり誰がバチを受けるのか

北条時宗の病死か

平頼綱の焼死か

鎌倉幕府崩壊か

それが

仏教の厳粛な歴史である。

文証と文底

理証

現証

もう一度その論理をしっかり理解する必要があるだろう。

とにかく大事なのは

仕事をしたくない暇人の

主張は相手にするなということだ。

仕事しなければ

バチがあるだけである。