陰謀論が流行っているようだ。
超格差社会で
行き場のない鬱憤と怒りが充満しているのだろう。
しかしよく考えてみてほしい。
陰謀論しか行き場がないひとたちを批判しても
分断が深まるだけである。
本質を見極め、根源の悪のみを責めなければならない。
価値論を踏まえて考えてみよう。
昔、核兵器誕生という事実上の陰謀があった。
人類の最悪レベルの脅威
核兵器は廃絶しなければならない。
核兵器廃絶の邪魔をしなければ、他の小さな陰謀論は否定しない。同じ土俵で議論しない。
大善の邪魔をしない限り、関わらない。
行き場のない人たちの鬱憤のガス抜きであり、否定しても消えるものではない。関わると分断に拍車がかかる。
ただし公明批判などをし始め、核兵器廃絶の邪魔をするなら戦うべきである。小善小悪は、大善に逆らえば大悪に変わる。
いまにところ
大善の学会ネットワークに害が及ぶ気配はない。
大善の邪魔する場合のみ破折し
攻めるべきは
大悪であり
核兵器の陰謀であり
大善を邪魔する邪悪とは徹底的に戦うべきである。
例えば憲法を例に挙げる。
平和憲法を守ることが絶対ではなく
憲法より妙法を守る
この視点がないと3人組のような末路になる。
さらに言うなら
3人組のような
何の功徳もないことはしなくてよい。
そもそもそんな暇はない。
仕事、子育て、介護、看病、
学会活動や公明支援活動、ここまでが功徳がある範囲だろう。
最悪の脅威、陰謀、大悪は、
すべてを破壊する核兵器という人類断頭台の脅迫行為である。
いま全人類の頭上に核兵器が吊るされている。
そこを攻めるしか功徳はありえない。
大悪を攻められない
小悪の被害妄想
それは
平和ボケと言っても過言ではない。
最後は自業自得で経済的にトドメを刺される。
3人組事件の教訓である。