創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、生命について考察する

ロープウェイが落下し多数死者が出たとニュースで流れていた。

私は小さい頃から

ひとつのロープと支えだけで命を支えるなんて危険だろうとずっと疑問に思っていた。

せめてひとつが切れても落ちないようもうひとつの命綱の措置を用意するべきだし

出来ればさらにもう一つ念のための命綱があった方がいいに決まってる。

念には念を入れるのは

私の観点では当然なのだが

世間はそうではないようだ。

あまりにも安易な設計で

多くの人命が失われたのだと思うと

残念である。

学会が三代で永遠化したことにも通じると思う。

2つ3つあればより強固になる。

DNAの水素結合もそうだ。

ひとつでは足りない。

2つ3つの結合が安定である。

それでは4つ5つとどんどん付け加えていけばいいのか、という考えが出てきそうだが、

それは違う。どんどん増やすとコストが増大し、リスクも増大する。管理も不能になる。三つぐらいが妥当であり、その三つで最適化し最善を尽くせばいい。

とにかく必要なコストさえかけないケチケチ病か

無駄にどんどん増やしていくアホアホ病か

両極端の愚策が多い。

それが人命にも及ぶのだから恐ろしい。

多様化するリスクから命を守るためには、

権限のある指導者がリスクに気付かないことには何もできないのだが、それを気付かせるための現在の唯一の選択肢が公明であろう。しかし除名者や退転者らは、そのただひとつの命綱でさえ、足を引っ張り、揺らし、切ろうとする。結局はロープで自分のクビを絞めていることに通じているのだが、本人たちはいつになったら気付くのだろうか。

何が公明正大で最善の選択肢か

生命主義の視点から明白である。

3人組がコロナ禍でとどめを刺されたごとく、

ただのケチケチ病の怨嫉による邪魔行為は、結局自分のクビを絞めているだけだと、バチと功徳の因果の理法は厳然とあるのだと、知らしめていく、これが法戦の大事な意義なのである。

バチと功徳は繰り返されて広宣流布は進んでいく。

バチは前進の大事な原動力である。

功徳を見るより

バチを見た方が

仏法の厳しさが万人に一目瞭然であるからだ。