ひとつ大事な破折のポイントを書き忘れていた。
このコロナ禍襲来という元寇は
我らを迫害したバチであると
退転者は言うかもしれない。
つまり自分たちがバチを受けたのではなく
迫害されたと思いこんでいる自分たち以外へのバチだと
彼らは言うかもしれない。
結局は真理で対決する限り、あー言えばこういうになるのが真理であるから
結局、価値論に示されているように
経済的価値で勝負するしかない。
真理は価値ではないのである。
真理は創造もできない。
日頃からコツコツと仕事や活動頑張っている
学会の人たちと
真理で一旗上げようとしている彼らは
分岐点のそれぞれの道へ進みつつ
やがて、どうなっていくであろうか。
仏法は勝負というが
それは
大善で功徳を積み、経済的価値の舞台で勝負するということであろう。
日蓮大聖人
いったいバチを受けたのは誰だったのか
後世の歴史家に判断を委ねよう。