創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、説法について考察する

無償で万人に平等に

法を説けばすなわち功徳が創造される。

例え

相手が名もない家なき子であったとしても

功徳が創造される。

しかし

名前を言え

名前を言わないなら

法は説かぬ

とか

言ってるお馬鹿な天狗がいるようだ。

平等を破壊する

魔物に等しい。

絶対に信用してはならない。

そのような条件付きの不平等な説法に一切功徳はない。

騙されてはいけない。

例え名前もないホームレスであろうと

平等に法を伝え

ともに功徳が創造されなければ意味がない。

当たり前過ぎることだ。

根底が狂っている。

条件付きの

万人に開かれていない

偽弟子の説法に

何の価値もない。

何もしない方がマシということも

あるということだ。

差別を助長するだけである。

大聖人はベクトルが違う。

穢多非人を救うように見せかけて差別を助長していた

極楽寺の欺瞞を見破り

根源悪を断つため

極楽寺を責めた。

それは名もなき家なき民に

平等に法を伝え説くことと同じである。

何もしない方がマシということがある。

差別が助長されるからだ。

全員に法を伝授して全員を助けるためには

極悪の法謗を責めよ。

シンプルだ。

家なき子

名前を聞き出す必要もなく、問題は解決に向かう。

差別を助長する

天狗どもには

間違いなく

バチがあるだろう。