創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、黙示録について考察する

平和ボケのひと

第29回「SGIの日」記念提言(上)を

読んだら

少しバチの救いがあるかもしれない。

バチの薬になる。

https://peppie.hatenadiary.org/entry/20040126/1189563683

第29回「SGIの日」記念提言(上)

――「生命にひそむ魔性」との対決を訴えた――

◆◆戸田第2代会長の原水爆禁止宣言

 液状化現象といっても決して言い過ぎではない昨今の時代精神の惨状、衰退を目にしていると、平和という大問題も、そうした身近なところから捉え、再考三考(さんこう)していく以外にない。少なくとも、それを欠いては抜本的な手立てとはいえないのではないか、と感じられてなりません。ゆえに、私どもは、その次元から確たる"一歩"を踏み出していきたいと思います。

 ここで、恩師の不滅の留言であり、メッセージである「原水爆禁止宣言」に、

今一度、スポットを当ててみたい。

 1957年9月、逝去の約7ヵ月前に、病の小康状態の中で師が全生命を振り絞って発したこの宣言は、全人類の生存権を脅(おびや)かす核兵器を"絶対悪"と指弾(しだん)し、その廃絶に取り組む使命を「遺訓(いくん)すべき第一のもの」として青年たちに託したものです。

 その核心部分は、次の一文にあります。

 「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆

を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、

ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」

 当時は、東西冷戦対立の激化に伴い、米ソをはじめ各国が核実験を繰り返し、

性能向上に躍起になっていた時代でした。

 そうした中で、師が「死刑」という表現まで用いて、青年たちに徹底した精神闘争を呼びかけたのは、"黙示録(もくしろく)的兵器"とも呼ばれる核兵

器の悪魔性を踏まえてのものでした。

 ただしここでいう「死刑」とは字義通りの意味ではなく、真意はあくまで、

多くの人々の生命や生活を一瞬にして灰燼(かいじん)に化しても痛みを感じず、すべてを自分の意のままにしようと欲する――仏法で説く「他化自在天」という生命にひそむ魔性を、根源的に断ち切る重要性を訴えることにありました。

 核兵器を"力による均衡"の観点から必要悪と是認する核抑止論の幻想を打ち破り、その根にある生命軽視の思想に強い警鐘(けいしょう)を鳴らした宣言の意義は、いささかも衰えてはいないと確信しています。