創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、宿命転換について考察する

結局のところ

除名され

学会活動が出来なくなった人たちが

バチを消し

功徳が得られる方法は

公明の戦いしかない。

なぜなら極悪な核兵器の廃絶への最短ルートであるからだ。

それをケチケチして自分を惜しんで

時には批判する

そんなちっぽけな輩に大聖人から功徳が届くわけがない。

だいたい彼らの心理がわかる。

公明支援して

裏切られて

損するのがイヤなのだろう。

ケチケチ病だ。

彼らには

裏切られた場合

裏切った議員にバチがあり

相手にバチがあれば

こっちに功徳が交換されてくるという

簡単な法理も知らないのである。

仏法には、裏切られたら損するという因果の理法はないのである。

ケチケチして

核兵器廃絶の足を引っ張ると

功徳がないどころか

バチさえ自分に降りかかってくるという

ことも理解できないのであろう。

裏切り者にはバチがあり

後世の歴史家が

バチを受けた裏切り者らのデータベースを作って

あまりにも厳しい仏法の因果を多くの人が見ることになり

多くの人が信仰に目覚めるだろう。

自然に

広宣流布が進んでいく。

だから未来から現在に功徳が届くのである。

ゆえに議員に裏切られても全然構わないし

公明支援の戦いを

変わらずしていけばいいのだ。

平和平和と言って

核兵器廃絶の根本問題が抜けている3人組や他の退転者に惑わされる必要はないのである。

憲法憲法と言って

妙法を、憲法より低く扱う、本末転倒の彼らからは過去に積んだ功徳が消えていくだけである。

バチを説明するには

核兵器廃絶の視点から見るのが1番わかりやすい。

そもそも明日核兵器の事故があり

超惨事が起こるかもしれないぐらい

人類は絶望の瀬戸際にいる。

人類の終末時計は、深刻に終わりへ向かっているのである。

人類は自ら第六天に核弾頭を吊るしているのだ。

愚かな人類に核兵器の安全管理などほぼ不可能である。

今生きていることが奇跡であり功徳である。

そのような危機的状況下で

必死に生き残る選択を探すことが

核の事故に巻き込まれない生存というもっとも大きな功徳への道である。

1番人類生き残りに近いのが公明であり

何も選ぼうとしない傍観者も含め

批判者たちは

命綱を掴んでないのと同じなのである。

ケチケチせず

公明勝利のため

公明正大に行動すべきである。

バチと功徳を交換するために。