3人組は平和憲法を護ろうとして
平和運動をしていたようだが
所詮小善に過ぎない。
日蓮仏法の根幹は
憲法を守るより
妙法を護らなければならないのだ。
それが大善である。
妙法を護ることが
平和憲法を守ることに通じる。
憲法は仏法の一部分に過ぎないのだ。
彼らは小善の小義によって
大善に迷惑かけて
没落していった。
大聖人を迫害し
仏罰で裁かれていった
2人の権力者
妙法の一部分となって宇宙生命に記録されたのである。
歴史は韻を踏んで繰り返す、
法華経の行者を迫害すれば、
再び妙法の教科書に刻まれるだけである。