文証や理証は信じられないとか
現証や現金しか信じられない
という輩は餓鬼や畜生の可能性がある。
教育教養が足りてないのである。
御本尊の文字も理論も信じられないのである。
現証や現金を見せると
途端に近寄ってくる。
御本尊は信じられないが現金を拝金する。
運の良い餓鬼はやがて成長して有財餓鬼になることもある。
そして
周りの生き血を吸いながら
時には仏子に当たり
七転八倒する。
世界は十界だから
餓鬼や畜生も避けられない。
三悪道は常にどこかにいるのである。
世界がより平和になるため
餓鬼や畜生もなんらかの役割がある。
上級国民下級国民などの言葉がメディアに出てきていてその上から目線のエリート意識に呆れるが
格差社会というのは
天界の衆生が
下層の救済をやめ天上に閉じ籠っているから深刻化するのである。
神天上の法門ということです。
社会は耕さないとどんどん餓鬼化畜生化していく。
文証や理証というのは
教養とか教育の問題であるから、常に努力して周りを教化していかないと、全体が地獄へと堕ちていく力が働いているので、地獄一歩手前の餓鬼や畜生が溢れてくるということだ。
最後は全体が地獄である。地獄はつまり総バチのことです。
天界も決して安泰ではない。
学会の偉大なところは
常に周りを教化している点だ。
社会の一定の教育教養レベルを維持することに貢献している。
その善行の因果が功徳として蓄積されていっているのであるから、軽んじればバチがある。
小善を褒め
大善を軽んじて揶揄するマスコミを見ていると
鎌倉時代と風潮は何も変わっていない。
最後は滅びるだけです。
幕府が何度も滅亡し
生き残ったのは
日蓮大聖人の御本尊でした。
これが全てを物語っているのではないでしょうか。
3人組は滅びる側のマスコミに加担していたに過ぎないのです。
滅びる側の人には興味ありません。
謝ることもしないし
公明にも敵対していてもう救いようもないところへ行ってしまった。
ただただ次の時代を仰ぎながら
今を全力で創価していくのみです。
第二の鎌倉時代が終わり
次の時代も末期になる頃
第二のキリスト教伝来があるに決まっているのですから。