創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名や退転者に共通するケチケチ病という損な性格

遠い山の落ち葉が一枚散ったから

あの山は全部いかん

あの山は全部好かん

ひとつダメなら全部いや

などとケチくさいこと

言って人を惑わしてるから

功徳もなく苦しんでいるのが透けて見える。

正しい答えを先に書いておく。

努力した分は

全部相手にバチとなって現れる。

だから裏切られようとも

気にする必要なし。

どんどん応援し支援してあげたらいいのだ。

相手にバチが現れたということは

功徳とバチが交換されたのだから

相手とは逆に

こちらが

功徳をいただけるのだ。

それが見えない中途半端信心ゆえ

除名あるいは退転したのだ。

無名を断ち切らないと

害が広がる。

除名しかなかった。

しかし幸いかな

学会活動できなくなっても

公明支援という

万人に開かれた功徳の道がある。

しかしかわいそうに

怨嫉で

最後の公明正大な功徳の砦たる

公明党

憎くて

その唯一の功徳の道さえ自ら閉ざしてしまった。

自分で気付くしかない。

ただ勤行も題目も唱えなくなったら

智慧も湧かないし

気付くこともない。

なぜ学会にいたときも

除名になった後も功徳がないのか

自分でもわからなくなる。

結局は自分の評価軸が定まらず

揺れ動いてるから

どこへ行っても

空回りしてるだけなのだ。

例え裏切られようとも

努力したことは無駄にならないのだ。

物質財産はあの世へ持っていけなくても

努力した功徳は来世にも持っていけるのだ。

ひとの努力を

裏切ったらバチがあるだけだ。

そのバチを見て

世間の人々は仏法の厳しさと偉大さを知る。

それは自然に折伏の功徳になっているということだ。

だから3人組の無明に

惑わされず

どんどん努力して公明支援活動して公明正大に折伏をしていけばいい。

バチは功徳に交換される

それだけです。

シンプルです。