創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、価値創造について考察する

大聖人は文字曼荼羅という本尊を御図顕された。

末法の末代幼稚な衆生のため

万人が大善という大功徳に至る設計図

価値を創造されたのである。

祈れば同じように価値創造していける。

それでは

この本尊になぜ功徳が備わっているのだろうか。

まず大聖人が手本を示し

功徳の模範と勝利と平和の因果を創造した。

それを後世の人が真似て

同じように平和の創造と勝利を実証する。

また後世の人が同じように実証していくだろう。

ということは未来の人に希望を与え

未来のために平和に貢献している

自分は今まさに、その未来に救った人たちの因果の功徳を譲り受けていることになる。

大善の連帯が現在に限らず未来までもつながり

功徳が返って来るのだ。

今価値を創造しようとしている戦いは

功徳を創造しているに等しい。

ご本尊とはそのような功徳ある設計図なのである。

第二代会長は

御本尊を幸福製造機と表現していたが

大聖人の創造した因果が全部収まっているので

龍ノ口に法難のようなことがあっても

同様な守護があり

決して魔に破壊されない金剛不壊という生命力の大功徳を得られる。

どういう風に因果が連鎖しているのか

観心すると御本尊の偉大な価値がより一層みえてくる。

難癖とかニセ本尊であるとか

くだらない議論に惑わされなくていい。

誰々の本尊は功徳がないとか

本質を何もわかってない輩が曇った目で戯言を言っているだけです。

本尊を悪用した場合

そのまま未来に悪影響があるから

バチがあって当然です。

悪用した因果がそのまま返ってくる。

未来は広いのでその広さ分増幅してバチが返って来るのだから甘く見ない方がいい。

不信心者には見えないから

不信心者ほど悲惨なものはないです。

悪用している人間がいたら

縁を切っていい。

魔山の板を受持しませんというのはそういうことです。

当然です。

身延離山も同じ論理です。

くだらない議論より

創造すべき価値が無限にあります。

それを見つけ出し

価値創造に時間を

貴重な時間を創価に使いましょう。

遠い未来までの因果を全部譲り受けるという

大聖人のような

偉大な功徳に浴すことはできますから。