第六天は
絶対に核兵器を手放さない。
しかし核兵器廃絶をしなければ
人類は絶滅していく。
絶対に
手放さないという
現実を前にして
何ができるだろうか。
創造するしかないわけである。
この言語ゲームという言葉は
ウィトゲンシュタインが創造者だ。
語りえぬものについては沈黙するしかない。
核兵器執着者が
沈黙するしかないぐらい
創造するしかないのだ。
相手が絶対に核を手放さないのだから
選択肢は言語の価値創造しかないのである。
絶対的執着というバカの壁があるのだ。
啓蒙であり対話しかないわけであるが
言語ゲームするための
言語自体が用意されていなければ
先に進まない。
語りえぬもの。
功徳とバチ。沈黙するしかない。
因 核兵器信仰
縁 地球温暖化
果 自然大災害
報 民が苦しむ
動執生疑(どうしゅうしょうぎ)とは
沈黙である。
現実にバチを受けたかもしれない
どうしよう
と沈黙するのだ。
仏法は
その答えの言語を既に
用意してくれている。
南無妙法蓮華経
それしかない。
沈黙の果てに
選択肢が
南無妙法蓮華経
しかないのである。
大聖人は
成仏
世界平和の
言語ゲームの基盤を
全て用意してくれていたのである。
哲学は無意味である。
しかし
核兵器廃絶の科学哲学という
言語ゲームなら
先に進む基盤になる。
因果応報の
バチという
現実が迫っている
あるいは
既に起きているのだから。