創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、言語ゲームについて考察する

第六天は

絶対に核兵器を手放さない。

 

しかし核兵器廃絶をしなければ

人類は絶滅していく。

 

絶対に

手放さないという

現実を前にして

何ができるだろうか。

 

言語ゲーム

創造するしかないわけである。

 

この言語ゲームという言葉は

ウィトゲンシュタインが創造者だ。

 

語りえぬものについては沈黙するしかない。

 

核兵器執着者が

 

沈黙するしかないぐらい

 

言語ゲーム

 

創造するしかないのだ。

 

相手が絶対に核を手放さないのだから

 

選択肢は言語の価値創造しかないのである。

 

絶対的執着というバカの壁があるのだ。

 

啓蒙であり対話しかないわけであるが

 

言語ゲームするための

 

言語自体が用意されていなければ

 

先に進まない。

 

語りえぬもの。

 

功徳とバチ。沈黙するしかない。

 

因 核兵器信仰

縁 地球温暖化
果 自然大災害
報 民が苦しむ

 

動執生疑(どうしゅうしょうぎ)とは

 

沈黙である。

 

現実にバチを受けたかもしれない

 

どうしよう

 

と沈黙するのだ。

 

仏法は

 

その答えの言語を既に

 

用意してくれている。

 

南無妙法蓮華経

 

それしかない。

 

沈黙の果てに

 

選択肢が

 

南無妙法蓮華経

 

しかないのである。

 

大聖人は

 

成仏

 

世界平和の

 

言語ゲームの基盤を

 

全て用意してくれていたのである。

 

哲学は無意味である。

 

しかし

 

核兵器廃絶の科学哲学という

 

言語ゲームなら

 

先に進む基盤になる。

 

因果応報の

バチという

 

現実が迫っている

 

あるいは

 

既に起きているのだから。