創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、論語読みについて考察する

論語読みの論語知らず

偽弟子らは日本語もちゃんと読めないのかもしれない。

2005より前の

池田先生の指導にこだわる姿を見ると

己義を構えた偽弟子としか思えない。

以下以前の記事からの再掲

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まず師匠の構想や理想を理解するため

教機時国教法流布の先後の理解は本当に要である。

ネットに溢れる勘違いのバチまみれの言論を見る限り

池田先生のスピーチをちゃんと読んでない

偽弟子が

問題ないことをさも問題があるかのように騒ぎ立てているだけなのである。

以下が私の伝えたい最初の全てだ。

本門と迹門について

より詳細に見ると

迹門 前半14品(序品第1~安楽行品第14)

本門 後半14品(従地涌出品第15~普賢菩薩勧発品第28)

であるが

2005.5月から「本門」の如来寿量品16になる。

以下の

池田先生のスピーチを読むと

2004年ぐらいが

地涌出品第15に当たるだろう。

池田先生は2005年に下記のように述べている。

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釈尊が、自身の本地を明かした法華経 「本門」の寿量品を説いたのは、

 76歳であると、日寛上人は記してお られる。

  <日寛上人の『観心本尊抄文段』に は、

 「(釈尊は)七十六の御歳、正しく寿 量品を説くなり」とある>

 わが創価学会は本年、75周年を迎え る。

 これからが、世界広布の「本門」の時代の始まりである(大拍手)。

 私は 現在、77歳。

いよいよ、本格的に

仏法を論じ始めていくつもりである。

2005.5.23

聖教新聞

第49回本部幹部会新世紀第4回東北総会での名誉会長のスピーチ

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池田先生の教えは

地涌出品第15

を含む

これ以後と

地涌出品第15より前の

迹門以前に

分けて理解していくことが大事とおもう。

これより前は、釈迦仏でいう

迹門や

にぜん経みたいなものだとおもいます。

方便品も

本門ではない。

迹門は迹門の意味があるが

混乱している人が多いので

いま大事なのは本門だ。

また

池田先生は

翌年に

重ねて強調している。

2006.9.22聖教新聞

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私の人生の総仕上げは、いよいよ、これからである。  仏法で説く「永遠の生命」についても、さらに語っていきたい。  

今まで語ってきたものが、全体の一部分となるような、さらに本格的な生命論を、真実を、全力を挙げて残していこうと思っている。

霊鷲山」と「彼岸」を語る  

2006.9.17 スピーチ

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と、2006に先生はご指導されていますが、

2005.5月から「本門」の寿量品がはじまり

2006.9月から「本門」の寿量品 のなかの「永遠の生命」を説き始める部分がはじまるのだと 思います。

私がこの2005,2006の数年のスピーチを改めて引用しているのは、にぜん経に執着して彷徨っている人が多いからである。

全体の一部分、

この日本語の意味もわからないぐらい

撹乱者が

脳乱しバチまみれになっていないことを願うばかりである。

所詮仏法は勝負、

功徳かバチかで

勝敗を決するしかない。

彼らの屁理屈に

構ってる時間はない