池田先生の弟子の皮を被った
偽弟子が集まっていると思われる種々の言説空間の
正体を見極める方法がある。
偽弟子は、いまの仏界メインストリームの生命潮流から距離を置いているかのようにダンマリを決め込んでいる。
つまり臆病な傍観者。
まったく人間革命の戦いの息吹もない空間。そこに仏界の生命力は微塵もない。
仏界メインストリーム潮流からかけ離れた、ただのバチエネルギーのリズムが奏でられているのみだ。
参加者を功徳と歓喜の大道へ導くような言葉の気配もなく、我賢しとの二乗根性で、
大乗組織を忌避し蔑む、小乗仏教的集団に過ぎないことは明白だ。
このまま、静寂な傍観者的平和を装い、臆病にも、民衆仏法の戦いから遁走し続けても、過去に積んだ善の果報が尽きたら、一巻の終わりだということだけはお伝えしておきたい。
何もしなければ果報の消滅スピードは加速する。
バチエネルギーの生命潮流は傍観者をも飲み込んでいくだろう。