創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、自分で気付く以外に助かる道はない。

人は愚かな失敗を繰り返す動物だ。

人から役立つ話を聞いても

自分にそもそもその成功体験がないので

あるいは

もともと興味はないので

それが如何に大事かということに気付かぬまま

聞き流すのである。

そして六道輪廻七転八倒を繰り返す。

馬の耳に念仏という風な言い方もある。

この場合、馬が愚かなのだろうか。

馬はもともと無知なる畜生である。

畜生に対して念仏を唱えてる方も愚かではないだろうか。

その念仏の愚かさを打破するのが題目であろう。

念仏で念仏無間に気付くことは出来ない。

念仏への執着を断ち切るため

題目が必要になってくる。

とは言っても一旦念仏にハマったら

抜け出すのは相当難しい。

実際に見たことがある。

しかし

自分も題目を唱え

相手にも言い続けなければ救えない。

念仏無間の愚かな生命を宿命転換させなければいけない。題目は慈悲である。

念仏では、念仏無間に気付けない。

それゆえに題目が発明された。

題目の発明者

御本尊の創造者

日蓮大聖人。

しかし念仏は一筋縄ではいかない。

しぶとく生き残っていく。

念仏へ執着し続ける人を実際に見たことがある、

その人たちは社会で非常に厳しい部類の仕事をしているのだ。自殺者も出る過酷な仕事。

社会を底辺で支えてると言えるぐらいである。

底で支える人も社会には必要なのである。

その方達がいないと社会が回らなくなるのだ。

しかし

絶対に題目を拒否する。

断固として念仏に救いを求める。

転職しても経済苦から抜け出れない。

世界は

六道輪廻だから

地獄餓鬼畜生が消えることはないのだ。

社会は底で支えてる人たちがいるから

社会は回っているのだ。

その人たちに感謝しなければならない。

感謝の題目とはそういう意味なのだ。

題目の素晴らしさ

功徳について

話しても話しても拒否する、

しかし社会を底辺で支えてくれてる。

例え、拒否されても

感謝すべきである。

その代わり

こちらは

第六天の

極悪と対峙していく。

それが法華経の行者の役目なのだ。

彼らは第六天と戦ってる余裕は全くない。

身も体もボロボロになっているのである。

その人たちの代わりに

戦えば功徳がある。善根を積むということだ。

世間の苦労も知らず

内弁慶で

戦いの邪魔をし

戦わなければ

六道輪廻七転八倒

バチで

地獄の方へ転がり落ちていく

それが生命の法則

仏法なのである。