退転者や
除名者に思うことは
やるべきことは公明批判や脱会者作りではないであろうということだ。無意味であり何の価値も創造されずバチがあるだけである。
やるべきことは仕事や社会で実証することであり、避けるべきは最後は何も残らないという悲惨な状況である。批判者は間違いなく滅びる側にいる。
ただし少子高齢化の時代に子育ては仕事より大事であろう。仕事と子ども、どっちが難しい仕事かといえば子どもである。仕事は所詮幻想である。ブルシットジョブというのは、意味のない仕事であるにも関わらず高給であるという現象である。ブルシットジョブの傍ら子育てに時間が使えるのだが、ブルシットジョブの人間は大抵は餓鬼や畜生であり、子どもを嫌っている。畜生は嫉妬し餓鬼は吸血鬼になる。
仕事中毒の有財餓鬼や有財畜生をたくさん見てきたが、全ての餓鬼や畜生に共通するのは、子どもを馬鹿にしており、関わりたからず、子育ての邪魔さえするということである。延々とくだらない仕事をしており、子供を忌避し、未来のことは何も考えていない。超インフレやデフォルトになれば紙くずになるお金のみを信じ抱きしめて酔っている。
少子高齢化現象というのは
国に餓鬼や畜生が溢れて、国が滅びていっているという最終地獄へ向かっているということだ。
これが仏法で説く三悪道ということであろう。
公明党の支援に功徳があると言っているのは、この観点からである。滅びゆく側に功徳がないことは明白であり、滅びゆく津波が大きいほど、波に逆らい乗る功徳は大きい。
批判者は、
公明党の批判に終始していれば、最後は何も残らないというバチがあるだけである。
それは目に見えるバチよりも恐ろしいバチである。
公明党は子ども中心の国作り子育て中心社会の政策をどんどん実現していただきたい。
支持者を裏切ればバチがある。
支持者が多いほどバチが倍増していく。
だから支援者も安心して支援に取り組めばいい。
バチが出たら、広宣流布がさらに進んでいく。
だから裏切られても気にするな。
北条時宗がなぜ若死したのか、
大物にバチが出たら多くの人が仏法の厳しさを目の当たりにする。広宣流布が進んでいく。
バチが功徳と交換される。
それは大きな功徳だ。
除名者、脱会者、
批判者は、バチと功徳の原理がわからず、自分の元品の無明の迷いから抜け出せず、価値を創造せず、批判するばかりで、何の功徳も創造されていない。それをわからないということがもうすでにバチである。
最後は何も残らない。