メモ書き、
大聖人、日興上人の時代は
第一の鎌倉時代である。
今は
第二の鎌倉時代である。
「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益あるべき時なり 807」
を利用する
天魔の如き大魔淫祠邪教によって
南無妙法蓮華経の功徳力が失われ、
一部の人たちによって
どの「大聖人-日興上人のご本尊&南無妙法蓮華経の題目」が正しいのかどうか混乱しているようです。
日興遺誡置文「末法弘通の恵日は極悪謗法の闇を照し 1617」
日興遺誡置文「謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事 1618」
日本(世界)の至るところで、各地で、大魔の淫祠邪教が未だに信者の生き血を吸って生き長らえているようだ。
信者も功徳がないのに更に搾り取られてたら、たまったものではない。邪教につくと年々苦しみは増していく。
功徳がなぜないか。ひとことでいって価値を何も創造していないから。価値が創造されてない、ただそれだけでアウト。関わりたくない。
大聖人亡き後、、、、南無妙法蓮華経の根本の大導師 白蓮阿闍梨日興上人が身延を離れざるをえなかった。
国家諫暁の精神を失った臆病な五老僧のために。
「日興一人云く、謗法の国をば天神地祗並びに其の国を守護するの善神捨離して留らず、故に悪鬼神其の国土に乱入して災難を致す云云 1602」
混沌としている現代。答えが見えにくい。
「末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無智の比丘と謗ぜられん事経文の明鏡なり、無智を以て法華経の機と定めたり。 765」
しかし、
答えは簡単である。
今を
第二の鎌倉時代と定めたら余りにも簡単すぎる。
第一の鎌倉時代の
日興上人の国家諫暁の如く
同じように戦えばいい。
大聖人正統の唯一の国家諫暁をしているのは
公明党。
日興上人から
破門になった日尊も
大折伏の末に破門を赦され
日興上人滅後その国家諫暁の意志を継いだ。
国家諫暁といっても
混乱する必要はない。何も難しくない。
国家諫暁とは立正安国のことだ。
現実的に立正安国の選択肢は公明党しかない。
五老僧のように
あーだこーだ言って功徳のない愚痴文句言ってる限り
日尊のように赦されることはないだろう。
つまり功徳も何もないということだ。
功徳というと分かりにくいが
価値が創造されてないと言えば分かりやすいだろう。
破壊的価値創造という言葉もある。
鎌倉幕府はバチを受け崩壊した。
日興上人は大聖人の国家諫暁の意志を継ぎ
破壊的価値創造をしたのである。
大聖人を迫害し無視した
幕府の自滅という歴史を残したのである。