創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、罰論について考察する

明らかに異常事態の時

バチ論を説けば

犠牲者が減る可能性がある。

バチ論は警鐘を鳴らすということだ。

観念論に陥ると

非常事態に

功徳論を説く。

そうすると

神風特攻隊や

一億玉砕のように犠牲者が激増する。

綺麗事ほど恐ろしいものはない。

ゆえに

法主

二乗根性

似非聖職者を糾弾し

バチ論を説くのである。

そうしなければ

犠牲者が増える。

二乗は

観念論に陥いりやすい。

人々にバチ論を説くことができない。

彼らには

非科学的に見えるからだ。

真実を説けない

見栄である。

臆病な二乗のため

犠牲者が増え

多くの人が苦しむ結果になる。

牧口先生は

バチ論を説いた。

他に方法があっただろうか。

当時

牧口先生は厳し過ぎると

似非幹部は言ったという。

まったくの臆病者であり

無慈悲な

二乗根性である。

一方で

一億玉砕の

一億総罰を

受けた後の

戦後

戸田先生は功徳論を説いた。

バチを受けた人間に

バチ論は

もはや無用である。

問題は

バチ論を説くべき時に

功徳論を説き

バチを受けた人に

バチ論を説くことである。

それは

犠牲者が増えるだけで、

無慈悲であり

まさに地獄絵図以外の何者でもない。

いまは

平和ボケの阿呆が

バチをも恐れず

崩壊へ暴走している時だ。

バチ論を説くべきである。

ただしバチを受けた人間に対して

無慈悲にバチを説く必要はない。