寺信心の何が問題か
五座三座など
そこに時間がかかり過ぎると
体力と時間を消耗し
魔術的信仰になり
時間的体力的に
社会で価値創造したり
新しい技能の研鑽ができなくなり
やがて
社会に置き去りにされ
進歩についていけなくなり
ビンボーになっていく。
それが寺信心の誤謬であり
たいていの寺はそれに気付いてないぐらい社会感覚が麻痺していると思われる
3人組も寺の板に執着しているようだが
仕事くびになった因果
そことも繋がっている
学会の
勤行はシンプルでいい
学会は創価が基本であり
時間の配慮が時代に合っていて
正しい。
学会活動を馬鹿にするものは
愚痴や文句の中で
仕事をやめていき
空いた席に福運を積んだ人が入っていく。
それが実相。