離脱者除名者退転者について思うのは
まず批判や評論ばかりで
何ひとつ提言や具体策の提案がないと言うことである。
それは最早仏法ではない。創価でもない。
ただの世法の濁流に流されてしまった可哀想な人達なのである。
創価の味方という皮を被っている偽弟子には気をつけたい。
救いたいと思っても
彼らの多くは最早自分の殻に閉じこもってしまっており
救うことさえ不可能なところへ行ってしまった。
何の具体的提案もない
何の価値も創造していない
批判だけの
人たちには
絶対に信用してはいけない。
時間の無駄である。
もうひとつ特徴を言えば
退転者は
いつも
池田先生より
日蓮を優先しているのである。
池田先生の弟子の皮を被っている偽弟子だ。
池田先生の提言もまともに読んでいないのであろう。
池田先生の弟子と言いながら
日蓮の話しかしない。
それは偽弟子という
言葉がぴったりだ。