創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、二乗について考察する

二乗。

何が問題か。

一般庶民はそんな細かい精緻な理論や哲学に浸ってる暇はない。

価値体系論の極地たる

価値論の基本は美利善である。

庶民はほぼそれで十分である。

価値論には無駄がない。

まず縁覚。

縁覚は庶民の役に立ちたいなら

功徳と仏罰の因果を縁によって覚知できるようになるべきだ。

庶民が切実に知りたいのは理論ではなく

その先はバチがあるか功徳か

そこに尽きる。

次、声聞について。

先日ある質問があった。

会合で幹部ばかり話していてはつまらない、SGIみたいにみんなで一人一人話し合う時間を増やすべきでは。

こう答えた。

仕事で疲れたまま参加している人もいる。

幹部の話しを聞くのは声聞の修行である。

仮に声聞や六道が全員話し始めたら

大変なことになる。

仕事や介護で疲れてる人がますます疲れてしまう。

基本的に長めに話していいのは菩薩の境涯で抜苦与楽を心得る幹部だけで良い。

声聞という聞きに徹する修行をできないものは

仕事で疲れて来ている人の気持ちはわからない。

抜苦与楽の菩薩行ができるようになるための

声聞の修行である。

また大変な仕事や介護をしている人は菩薩に通じている。

菩薩道を邪魔しないために聞くに徹する声聞がたくさんいなければならない。

それは全員が円満に大善の功徳を受けるための

十界論という仏法の定理と言っていい。

仏法は真に奥が深い。