創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、頭破七分について考察する

私は

海外も含めた

各地の学会員から

池田先生=大聖人

ということを度々聞いてきた。

そして

池田先生=大聖人

https://youtu.be/Q5QI3SNjdfs

という文証と理章に行き着いた。

もし伝統的側にいると

池田先生=大聖人

とは言いにくい雰囲気があるだろう。

あるいは魔性の嫉妬を代々受け継いでおり

池田先生=大聖人

とは絶対言わせない、魔の空気が漂ってるはずだ。

そこにいる限り絶対に

池田先生=大聖人

とは言えないのだ。

分断である。

絶対的分離、差別である。

分断に分断を強いられれば

頭破七分という事だ。

私は、そのような魔物の巣窟に一切近付かない。

誘おうと近付いてくることもある。

誘われても誘われても

そんな時代遅れには絶対に関わらない。

一分一秒無駄にしたくない。

魔物の嫌いな物をご存知か?

そう、大十字架である。

https://youtu.be/Q5QI3SNjdfs

大十字架の前に

魔の吸血鬼は

頭破七分になるだけである。

魔に侵されると

明らかに

池田先生=大聖人

であるのに

頭破七分で脳内が分離し

大聖人、大聖人と言い始める。

そして

池田先生を大聖人と心から思えない故

池田先生を裏切っていく。

それが魔の法則である。

大聖人がいま現実に生きていらっしゃる

同じ時代に

裏切りさっていくのだ。

なんと浅はかな。

大聖人、大聖人と言いながら

大聖人が現にいるのに

大聖人を裏切っていく

そうなる前に

魔世界を脱出しなければ後悔するだろう。

価値の創造

つまり

創価は自由だ。

魔の鉄鎖を断ち切ったら

池田先生=大聖人

という真の自由と功徳が待っているだろう。

自分でわかるはずだ

絶対に

永遠に

池田先生=大聖人

とは言わせない魔の世界

そこにいる限り

池田先生=大聖人は

絶対に許されない概念だ。

そんな場所がいいのか

そこにいて幸せか

その身動きのできない蜘蛛の巣に留まるか

あるいは

池田先生=大聖人という

真の解放と自由と創価

戻るか

池田先生=大聖人

の時代という

時間は限られている。

魔の鉄鎖を断ち切り

いま

絶対に後悔しない道を選んだ方がいい。