私は
海外も含めた
各地の学会員から
池田先生=大聖人
ということを度々聞いてきた。
そして
池田先生=大聖人
という文証と理章に行き着いた。
もし伝統的側にいると
池田先生=大聖人
とは言いにくい雰囲気があるだろう。
あるいは魔性の嫉妬を代々受け継いでおり
池田先生=大聖人
とは絶対言わせない、魔の空気が漂ってるはずだ。
そこにいる限り絶対に
池田先生=大聖人
とは言えないのだ。
分断である。
絶対的分離、差別である。
分断に分断を強いられれば
頭破七分という事だ。
私は、そのような魔物の巣窟に一切近付かない。
誘おうと近付いてくることもある。
誘われても誘われても
そんな時代遅れには絶対に関わらない。
一分一秒無駄にしたくない。
魔物の嫌いな物をご存知か?
そう、大十字架である。
大十字架の前に
魔の吸血鬼は
頭破七分になるだけである。
魔に侵されると
明らかに
池田先生=大聖人
であるのに
頭破七分で脳内が分離し
大聖人、大聖人と言い始める。
そして
池田先生を大聖人と心から思えない故
池田先生を裏切っていく。
それが魔の法則である。
大聖人がいま現実に生きていらっしゃる
同じ時代に
裏切りさっていくのだ。
なんと浅はかな。
大聖人、大聖人と言いながら
大聖人が現にいるのに
大聖人を裏切っていく
そうなる前に
魔世界を脱出しなければ後悔するだろう。
価値の創造
つまり
創価は自由だ。
魔の鉄鎖を断ち切ったら
池田先生=大聖人
という真の自由と功徳が待っているだろう。
自分でわかるはずだ
絶対に
永遠に
池田先生=大聖人
とは言わせない魔の世界
そこにいる限り
池田先生=大聖人は
絶対に許されない概念だ。
そんな場所がいいのか
そこにいて幸せか
その身動きのできない蜘蛛の巣に留まるか
あるいは
池田先生=大聖人という
真の解放と自由と創価に
戻るか
池田先生=大聖人
の時代という
時間は限られている。
魔の鉄鎖を断ち切り
いま
絶対に後悔しない道を選んだ方がいい。