なぜ鎌倉幕府が崩壊したのか。
日蓮大聖人の諫言を無視したからである。
なぜ北条時宗は若死したか。
龍ノ口の法難のバチである。
なぜ平頼綱は誅殺されたか。
熱原の法難のバチである。
『現実の「外なる悪」と戦い、勝たねばなりません。「外なる悪」との戦いは、「内なる悪」に打ち勝ち、「内なる善」を開き顕す戦いと一体だからです。
魔軍との戦いとは、己心の魔との真剣勝負です。生命に巣くう元品の無明(=生命の本性として具わる悪の性分、その本源的な働き)の克服にほかなりません。
大聖人が「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり 751」と仰せの通り、魔軍を打ち破る武器はただ一つ、信心の利剣なのです。
「悪は多けれども一善に勝つ事なし 1463」です。/池田先生(2016年5月号大白蓮華)』
「大慢のものは敵に随うというこのことわりなり 287」思い上がっていれば、仏敵・天魔邪教に従ってしまう。天魔の魔力に従って、極悪撲滅の祈りを忘れてしまう。
「外道悪人は如来の正法を破りがたし 仏弟子等必ず仏法を破るべし 957」
「日蓮捨て去る時七難必ず起るべし 957」
「日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし 919」
戦時中、創価教育学会に対する軍部権力の弾圧によって、二十一人の大幹部が逮捕された。このうち、牧口先生、戸田先生以外は、次々と退転していったのである。その後も、戸田先生のもとで理事長まで務めた人物が、学会に弓を引いて去っていった。 大聖人の御入滅後、六老僧といわれた六人のうち、日興上人を除く五人の高弟すべてが、師に背き、日興上人から離れていった。当然、全員が、後継の日興上人のもと、心を一つに、御遺命たる広宣流布に逼進していくべき立場であった。 反対に、殉教した「熱原の三烈士」をはじめ、無名の庶民の門下たちは、勇気ある信心を貫き通して、三世永遠の栄光と福徳に包まれている。 / 池田先生(5・3記念祝賀代表者会議 2005年4月15日)
「悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや 21」