創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、依法について考察する

一生懸命世界平和のため活動していても

功徳がほしいから頑張ってるだけですみたいなのは

欲界から一歩も出てないわけで

何も功徳はないのではないだろうか。

そういうパターンは

常に依人に陥り、10年経っても全然成長しない。

いつまでも確信が掴めないから

依法としての自立もできない。

そもそも大聖人の大難の戦いを思えば

何か功徳がほしいと思えるだろうか?

普通に事故もなく、自然災害にも巻き込まれず

無事に生きていけてたら十分であろう。

功徳がほしいから宗教活動頑張ってる

生活は自立できない

いつまでも親に甘えてる

現代病である。

まして

無宗教者、無神論者で

親離れできぬ輩が溢れている。

今まで、有財餓鬼みたいなのたくさんみてきた。

世も末であろう。

末法とはこのことだ。

やがて国も傾くであろう。

別に何も特別な功徳などほしいと思わぬし

ただ全てが無事故で、大事もなく生きていけてたら幸せである。

時には、有財餓鬼が悪戯しにきて、

火傷して、去っていくが、

仏法の威力を見れて、幸せだと思う。

天邪鬼がバチ受けてヤケドする姿などなかなかみれるものではない。

それで十分楽しいではないか。

とにかく智慧がどんどん湧いてきて

未来のためにやらねばならないことが多すぎて

楽しい

それが大聖人の仏の生命の

御心の一端であったと思うのである。

曼荼羅御本尊のデザインも後世への謎々という意味合いもあるだろうし

仏界の不思議な

謎解きが楽しくてたまらない日々である。