創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、無明について考察する

結局のところ足軽グループが

唯物論的に

遠い山の板を捨てきれないのは

ご本尊の文字の意味を考えることを放棄して

物質に縋っているからであろう。

何年も前に

会長を先頭に

その物質に過ぎない板と縁を切ったのは間違いなく英断であり

絶対正しいのである。

会長以外の人だったら

それが出来たとは思えない。

その物質と縁を切った時

ざわざわ騒がしくなってたようだが

正直言ってホッとした。

時には厳しさというのは大事である。

厳しさがないと、羊が迷いだして

収拾がつかなくなる。

足軽グループの除名も厳しさゆえ当然だと思う。

日興聖人と日尊である。

また

あの板のオブジェは

先人が智慧を絞って作った

三代の会長先聖を

この世に呼び戻す機械装置であり

予定通り

先聖が現れ

役目を終えて

あとは周辺が魔の巣窟と化した。

今後はわからないが

お山が

魔と化したということは

富士山の噴火も近いのかもしれない。

噴火はサイクルだ。

山も美しい仏の時期と魔になる時があるということだ。

魔のサイクルに入ったのかもしれない。

なぜなら

人々に

魔山と

呼ばれている時代だから。