創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、価値論について考察する

牧口先生は

真善美から真を除去し

美利善の価値論を創造したのであるが

物事には歴史の流れがあるので

真善美という哲学の歴史を否定しているつもりはない。

プラトンからカントに至るまで

長い期間を経て、真善美の哲学体系が形成醸成されていった。

真はカントの純粋理性批判

善はカントの実践理性批判

美はカントの判断力批判

に対応している。

昔は近現代ほど経済的余裕はなかった。

ゆえに時代の制約で真善美が理想とされたのである。

例えて言うなら

牧口先生が無実の罪で投獄された時

自分の価値論の正しさを確認する意味で

カントの書物を読んでいたと言うのは有名だが

牢獄つまり経済的自由はない。

そういう例外的特殊的な状況では

真善美が理想の価値であり

真善美を追求して問題ないのである。

他に選択肢がないからである。

翻って現代は、経済的価値を創造する自由が与えられている。

ゆえに美利善を基本とすべきなのである。

(牧口先生のように特殊な制約状況にある人は除く)

なぜ自由がある時代に

歴史に逆行するのか、反価値的である。

私も初めて価値論を読んだ時

あまりにも分かりやすい哲学のため

もっと難しい内容が哲学の価値なのではないかと

思ったこともある。

しかし社会人になって経済競争に巻き込まれ

多忙を極めると

その時

牧口先生の価値論が正しいと理解することができた。

真善美の哲学に浸っている暇はないのである。

しかしながら、学生時代に数学や哲学で鍛えた脳は

いまも社会で生きていく上で役に立っている。

若いときの脳トレーニングとしては

真善美の書籍を読みまくるのも論理思考が鍛えられあとで役立つだろう。

しかし経済的に自立し始めたらきっぱり真善美に迷うことは止めるべきだと思う。

3人組のように真に迷うと左傾化したりしてしまうのがいい例だ。

やはり美利善の価値論が基本である。

牧口先生は国家権力によって強制的に不自由にされたが、

3人組は自ら道を誤って、経済不自由を選択し、真理の牢獄にはいった、

天地雲泥の差である。

しかし、それでも

哲学や真理が好きで、難しい本を読むのが趣味だと言う人がいたら

LinuxUNIX哲学などのオープンソース関連やコンピュータの理論、

AIのディープニューラルネットワークなど

を極めれば経済的価値にも結びつくかもしれない。

内容もカント哲学に劣らないぐらい難解間違いなしである。

要は経済的価値に直結する真理を価値選択し

それなら真の利でもあり

美利善と真の歯車が噛み合うであろう。

学会活動は大善の基本なので、それを外したら本末転倒であることに注意したい。