創価学会元職員3名のブログへの応答blog

追撃の手を緩めるな by 戸田先生

創価学会元職員3名はさておき、階級社会について考察する

格差社会の中で

都合よく

用意された仕事

与えられた仕事ほど危ういものはないと感じる。

それは階級化社会の格差固定という背後に隠された意図があることが大いにありうるからだ。

コロナ禍でもそこら辺が浮き彫りになっているようだ。

仕事は創造するものであり

時には

破壊的創造の過程で軋轢が生じる。

それは実証することによって解決するしかない。

格差拡大した社会では

左翼的運動が流行り始める。

それは破壊のみであり

そこに破壊的創造はない。

3人組の行動を分析したらよくわかる。

彼らは階級化に不満を抱いていたのだろう。

そして小義を作り、大義に反旗を翻した。

しかし、左翼の行き着くところは、別の独裁者の登場であり

別の階級社会の到来に過ぎない。

左翼主義者についていっても

新たな階級社会の下層に再び固定される。

彼らもそれはわかっていたのかもしれない。

知っててやってたのかもしれない。

しかし蒙古襲来のごときコロナ禍が押し寄せ彼らはとどめを刺された。

経済より真理を優先した体制は脆い。

結局は、左翼的運動より、

誰でもできる仕事より、

創価の中道の価値論である

経済を中心とした美利善の価値を創造する方法を

自分で見つけていく

これが正しい道である。

格差固定の圧力の中で、智慧と技術を磨いて、

左翼運動のような時間の無駄遣いの道草をせず、

破壊的価値を創造し続けて

固定化と戦っていくしかない。

戦前は文系は戦場で命を落とさせられた。

理系の方が生き残らされる側に置かれたと聞いたことがある。

与えられた道をそのまま受け入れるのは危うい。

最後は何も残らないという悲惨は避けなければいけない。

自分がどういう状況にいるか

判断もつかない場合

結局最後何が残っているのかから

想像してみれば見えてくるものもあるだろう。

3人組は

最後何が残っているのだろうか。

景気がいいときに

景気循環を無視して

左翼運動的な行動を起こし

次の不景気の準備もせず

コロナ禍に巻き込まれて

結局あとで何が残っているのか

考えた方がいいのではないだろうか。

いろいろなブログを読んでいると

彼らは不動産信仰をお持ちのようだ。

社会主義国では

不動産は結局は没収される。

彼らは不動産を維持するため

格差固定社会の戦場で生き残っていけるのだろうか。

最後何が残っているのか

唯物論信仰は苦悩に満ちていて危うい。

社会主義革命が起こったとき

不動産を捨て

即座に社会主義国を脱出し

自由の国に移住した人と

そのまま残った人たちが

その後どうなっていったか

歴史に学ぶことが重要である。

創価学会元職員3名は謝罪表明すべきではないでしょうか

3人組は、絶対に謝るつもりはないと思う。

まったく反省の気配も見当たらない。

学会に反発し有名人にしてもらい

多くの会員に大迷惑かけておきながら

大善と小善を勘違いしてるのは認めたくない

本末転倒で除名になったことも

彼らは全てにおいて認めたくない。

創価の価値論では

真理は価値ではないと断言されているのに

創価に真理問題を持ち込み

中道を左派で捻じ曲げ

創価の基本思想を踏み躙った。

百歩譲って

謝らなくてもいいとしよう。

どうしても

謝りたくないのなら

次の選挙で罪消し恩返しの戦いをしないと

大聖人は赦さないだろうし

日興聖人からも見放されると思います。

創価学会元職員3名はさておき、変異株について考察する

新型コロナの変異株が新しい危機になっているようだ。

今後の経済へのダメージも計り知れない。

戦時中に似た状況と考えられる。

鎌倉時代後半や終焉後に徳政令があり

昭和時代に旧円が崩壊したように

今後新円にもなんらかの危機がやってくるのかもしれない。

鎌倉幕府は大聖人の諫暁を無視した。

その結果が幕府崩壊であった。

現代においても

傲慢になった有財餓鬼らが

創価大聖人を軽んじる。

歴史に学べることは多い。

創価学会元職員3名はさておき、極端について考察する

エンジン車全廃とか過激すぎると思うし

未来はそうはならないのではないか?と思う。

思い通りにいくわけはない。

全て電気にしようとか極端すぎる。

そのうち二酸化炭素回収固定化技術も進化していくだろう。

そもそも大噴火や大地震が起こったら、どうするのであろうか?

いろいろな逃げ方の選択肢を用意しておくことが

安全策だ。

生物だって、多様性があるゆえに

大量絶滅を幾度となく乗り越えてきた。

当面は電気自動車を普及させるため

過激で極端な宣伝もありだとは思うが

未来は思う通りになってはいかないだろう。

歴史もそう教えている。

水素エネルギーでもいい

炭素燃料でもいい

太陽光でも

原子力でも

エネルギーの多様性の維持こそが来るべき正しい未来像だと考えている。

創価学会元職員3名はさておき、核兵器廃絶について考察する

学会活動は

核兵器廃絶と同じことである。

核兵器廃絶は

人類存続か絶滅かに関わる大問題なので功徳がある。

無事生きていること自体功徳であるからだ。

1日1日無事なら既に奇跡である。

反対に誰かが

絶滅の方へ押しやろうとするなら

彼らは生き地獄という方へ向かうに違いない。

バブルの宴なんて砂上の楼閣であろう。

核兵器が暴発したら、全人類一巻の終わりである。

核兵器廃絶と言っても

何か特別なことをする必要もない。

地道な学会活動が核兵器廃絶そのものであるからだ。

3人組は大局観を見失い、問題行動を起こした。

彼らのブログ見ていても

そこに功徳があるとは思えない内容だ。

絶対平和絶対平和と叫んでも、恒久平和は来ない。

核兵器禁止と叫んだ方が、真の平和に近付く。

公明党が希望である。

3人組は大局観を見失い

除名になった。

これ以上学会の邪魔しない方がいいと思います。

創価学会元職員3名はさておき、核兵器廃絶について考察する

核兵器は相互不信の塊であり

核兵器廃絶は本当に難しい問題だと思う。

とにかく対話をし続けていくしか方法はない。

核兵器廃絶への対話は

核兵器もない時代に

日蓮大聖人が始めたと言える。

そういえば

立宗宣言の日は昨日だったことを

思い出した。

恐竜は巨大隕石で絶滅したというが

人類は核兵器で絶滅寸前である。

核兵器廃絶への対話は創価大聖人によって今も続く。

恐竜絶滅隕石が落ちた地域は

アメリカやキューバにも近いところだった。

キューバ危機を想起する。

宇宙そのものに

絶滅させようという力学が潜在しているようだ。

人類絶滅による核兵器廃絶か

人類存続のうえ核兵器廃絶か

どっちみち核兵器廃絶はできるのである。

どっちの核兵器廃絶がいいだろうか。

こう考えてくると

仏法対話がいかに功徳絶大か

理解できる。

唯一対話によって

生き抜く方へいくしか道はないからである。

唯一の生き残りの道、

対話である。

絶滅ではない方の選択肢が功徳に決まっている、

なぜなら絶滅したら功徳と言えるわけがないからである。

創価学会元職員3名はさておき、十界論について考察する

十界とは

下は地獄から

上は菩薩まで

境涯の階段を

上がっていこうということだ。

1番上の仏界は最上階であり

そこだけは特別で

日蓮大聖人の曼荼羅

祈り結縁する事で

即時に引っ張ってもらえる蜘蛛の糸の上のお釈迦様のような場所だ。

その功徳力で

地獄は人界にもどっていける

あるいは菩薩まですぐに戻れる。

地獄の苦しみぱっと消えると

大聖人も仰せである。

同じ論理で

ブルシットは地獄である。

堆肥だ。

やがてチューリップバブルのように花を咲かせる可能性もある。

現代風に言えばブルシットコインであろう。

他にもブルシットジョブというものもある。

ブルシットジョブは

クソみたいな仕事だけど

高給なのでやめられないというやつだ。

ブルシットジョブも

堆肥でと同じで

将来、花を咲かせる準備期間だと思えばいい。

ブルシット様様である。

かなり難解な単語もでてくるが

意味がわからないなら

かなり勉強不足だと思う。

境涯革命したいなら

世間のこと勉強するべきです。

まずはブルシットジョブを目指して勉強するべきです。

3人組みたいに

栄転転職の準備もせず

中途半端な正義のためクビになり

ブルシットジョブを捨てるなん

世間知らずとしか言いようがない。

ブルシットは堆肥である。

ブルシットジョブに偶然ついていたら

しっかり勉強して

準備するべきだです。